「山の辺の道」を歩く |
「山の辺の道」を歩く旅、多くの人が出発点とする「石上神宮(いそのかみじんぐう)」。国宝「七支刀(ななさやのかたな)」などがあることで知られています。 最寄の近鉄「天理駅」に8時過ぎ着、タクシーで乗りつけました。 キリッとした冷気が身を引き締めてくれます。 道中の無事を祈って午前9時、「さあ、出発」です。 | |
道筋には柿畑が続きます。 奈良県は柿の産地だったかしらん。 そういえば「柿の葉寿司」は食べたことがありますが。 | |
道は山裾の畑をめぐって続いています。 目の下に「冬桜」でしょうか、奈良平野をバックに薄桃色の花をいっぱいつけていました。 | |
30分ほどで「夜都伎神社」到着。 「よとぎ」かと思ったら「やとぎ」と読むそうです。 藁葺きの拝殿が建っています。 | |
奥には赤鮮やかな春日造りの小さな本殿が建っていました。 | |
集落のまわりに濠を巡らした「竹之内環濠集落」。 古墳時代以前にさかのぼる集落の形態です。 | |
こちらは、右手にある古墳の堀を利用したという「萱生(かよう)環濠集落」。 | |
道は、前方部が墓地になってしまっている「灯篭山古墳」の西側を下っていきます。 後円部は残っていますが、周囲は柿畑でした。 | |
道は整備されていて、坂になっている所には石が葺かれていました。 | |
天理市が開いた休憩施設「トレイル青垣」で大休止。 このあと、「行灯山古墳」に向かいました。周濠が完全に残る全長240mの前方後円墳。実在の最初の天皇といわれる崇神天皇の陵と治定されています。 | |
幅の広い濠を巡らせている御陵の奥には、三輪山に続く山々が霞んでいました。 | |
ちょっと足をのばして「黒塚古墳」にまわりました。 平成10年の発掘で卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が33面出土したことで知られる古墳です。 全長132mの前方後円墳の横には展示館があって、石室が原寸で復元されています。 | |
また「崇神天皇陵」にもどって後円部の濠を巡りました。 高みから大和三山のうちの二つの山が霞んで見えていました。手前右が「耳成山」、後ろ左が「畝傍山」でしょうか。 | |
すこし先の道から、三輪山が全景を見せてくれました。 | |
10分ほど歩くとお隣りの「景行天皇陵」です。全長300mの前方後円墳で、全国7番目の大きさです。 | |
12時をまわったので「大和まほろば」といううどん店で昼食・大休止。 ここから「山の辺の道」の最高点を通って「檜原神社」に向かいます。 途中、武者小路実篤書の柿本人麻呂の歌碑がありました。 「ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高くもあらしかも疾き」とありました。 | |
ここが最高地点です。 | |
この街道沿いの集落です。 | |
「檜原神社」。写真でわかりますか?独特の三ツ鳥居だけが建つ神社です。 大神神社の摂社ですが、同じく三輪山の磐坐(いわくら)がご神体のため本殿はありません。 | |
「大神(おおみわ)神社」に到着しました。 大国主命が魂を留めた三輪山をご神体とする神社です。 | |
本殿はなく、桧皮葺きの豪壮な拝殿(重要文化財)の奥に三ツ鳥居(重要文化財)が建っているだけです。 | |
社殿の横から入ったので、参道を正面に下ってきました。 ここまで来れば、疲れていれば最後として歩きをやめることもできます。 | |
まだ元気に歩く余裕があった私たちは、さらに「海柘榴市観音」に向かいました。 日本最古の市があった海柘榴市(つばいち)の名をとどめる観音堂があります。 春秋2回、男女が集まって恋歌を詠み婚約した“歌垣”があった所としても名高いそうです。 茨城県から来たという人が観音堂を探していました。筑波山も歌垣で有名な所ですからね。 | |
今いた海柘榴市と背景の三輪山です。 このあと、道を間違えてJR「三輪駅」へ出てしまいました。予定の終着「桜井駅」にはタクシーのお世話になる破目になりました。 午後4時過ぎの到着、約7時間の行程でした。 |