「山の辺の道」を歩く



          1.行った日 ; 2007年12月18日(火)
          2.同行者  ; 大学時代からの友人M氏、Y氏
          3.目  的  ; 「古墳を巡る旅」の2日目です。
                    最近「山の辺の道」を半分歩いたM氏と、Y氏の3人旅です。



「山の辺の道」を歩く旅、多くの人が出発点とする「石上神宮(いそのかみじんぐう)」。国宝「七支刀(ななさやのかたな)」などがあることで知られています。

最寄の近鉄「天理駅」に8時過ぎ着、タクシーで乗りつけました。

キリッとした冷気が身を引き締めてくれます。
道中の無事を祈って午前9時、「さあ、出発」です。
道筋には柿畑が続きます。
奈良県は柿の産地だったかしらん。
そういえば「柿の葉寿司」は食べたことがありますが。
道は山裾の畑をめぐって続いています。
目の下に「冬桜」でしょうか、奈良平野をバックに薄桃色の花をいっぱいつけていました。
30分ほどで「夜都伎神社」到着。
「よとぎ」かと思ったら「やとぎ」と読むそうです。
藁葺きの拝殿が建っています。
奥には赤鮮やかな春日造りの小さな本殿が建っていました。
集落のまわりに濠を巡らした「竹之内環濠集落」。
古墳時代以前にさかのぼる集落の形態です。
こちらは、右手にある古墳の堀を利用したという「萱生(かよう)環濠集落」。
道は、前方部が墓地になってしまっている「灯篭山古墳」の西側を下っていきます。
後円部は残っていますが、周囲は柿畑でした。
道は整備されていて、坂になっている所には石が葺かれていました。
天理市が開いた休憩施設「トレイル青垣」で大休止。

このあと、「行灯山古墳」に向かいました。周濠が完全に残る全長240mの前方後円墳。実在の最初の天皇といわれる崇神天皇の陵と治定されています。
幅の広い濠を巡らせている御陵の奥には、三輪山に続く山々が霞んでいました。
ちょっと足をのばして「黒塚古墳」にまわりました。

平成10年の発掘で卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が33面出土したことで知られる古墳です。
全長132mの前方後円墳の横には展示館があって、石室が原寸で復元されています。
また「崇神天皇陵」にもどって後円部の濠を巡りました。

高みから大和三山のうちの二つの山が霞んで見えていました。手前右が「耳成山」、後ろ左が「畝傍山」でしょうか。
すこし先の道から、三輪山が全景を見せてくれました。
10分ほど歩くとお隣りの「景行天皇陵」です。全長300mの前方後円墳で、全国7番目の大きさです。
12時をまわったので「大和まほろば」といううどん店で昼食・大休止。
ここから「山の辺の道」の最高点を通って「檜原神社」に向かいます。

途中、武者小路実篤書の柿本人麻呂の歌碑がありました。
「ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高くもあらしかも疾き」とありました。
ここが最高地点です。
この街道沿いの集落です。
「檜原神社」。写真でわかりますか?独特の三ツ鳥居だけが建つ神社です。
大神神社の摂社ですが、同じく三輪山の磐坐(いわくら)がご神体のため本殿はありません。
「大神(おおみわ)神社」に到着しました。
大国主命が魂を留めた三輪山をご神体とする神社です。
本殿はなく、桧皮葺きの豪壮な拝殿(重要文化財)の奥に三ツ鳥居(重要文化財)が建っているだけです。
社殿の横から入ったので、参道を正面に下ってきました。

ここまで来れば、疲れていれば最後として歩きをやめることもできます。
まだ元気に歩く余裕があった私たちは、さらに「海柘榴市観音」に向かいました。

日本最古の市があった海柘榴市(つばいち)の名をとどめる観音堂があります。
春秋2回、男女が集まって恋歌を詠み婚約した“歌垣”があった所としても名高いそうです。

茨城県から来たという人が観音堂を探していました。筑波山も歌垣で有名な所ですからね。
今いた海柘榴市と背景の三輪山です。

このあと、道を間違えてJR「三輪駅」へ出てしまいました。予定の終着「桜井駅」にはタクシーのお世話になる破目になりました。

午後4時過ぎの到着、約7時間の行程でした。




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