「京都」一日目 曼珠院と詩仙堂 |
曼珠院 平安初期、比叡山西塔北谷にあった「東尾坊」が、平安末期に「曼殊院」と改名。1656年、桂宮智仁親王の次男良尚法親王の時代に現在の地に移ったという。 案内人がいないので、どの建物がどれとはわからないまま見学しました。この建物は重文「小書院」と思われます。 | |
左端に見えるのが「梟の手水鉢」です。 | |
詩仙堂 石川丈山の居宅。丈山は徳川家康の近侍として大坂夏の陣で先登の功名を立てた武人。京都で文人として朱子学を学んだ後、広島浅野家に仕え、京に戻った59歳の時に「詩仙堂」を建て、90歳で亡くなるまでの30年間、清貧の中に聖賢の教えを自分の勤めとして寝食を忘れてこれを楽しんだという。 大勢の見学者で賑わう「嘯月楼」。 | |
嘯月楼「詩仙の間」前の庭。 見学をおえた3時半すぎにジャンボタクシーに乗って、高尾の料亭旅館に向かいました。 | |
この仲間の集まりがなければ生涯行くことはなかったであろう高級料亭旅館です。 | |
この集まりとは「〇大36L1-4」というクラス会。大半が東京近辺在住なのに、存命者46名中24名が集まったのですから驚異的出席率かな。 |