「京都」一日目 修学院離宮



          1.行った日 ; 2010年11月26日(金)
          2.同行者  ; 「36L1-4」同窓生6人と
          3.目  的  ; 11月26〜27日に京都で行われる大学同窓会に参加するにあたって、
                    「オプション」として用意されたプログラムに参加しました。


           26,27日は、今回のおでかけの第一の目的「大学クラス会」に京都にやってきました。
           ホンチャンは夕方に宿に集合してからの宴会と翌27日の「保津川下り&嵐山コース」旅行です。
           オプションとして、希望者には26日昼間の「修学院離宮参観・曼珠院&詩仙堂見学」が用意されていました。
           私は、もちろん二度とないだろうチャンスに乗せてもらいました。


           大阪本町のホテルを8時過ぎに出て、新大阪から東海道線「新快速」電車で京都に9時過ぎには着きました。
           一日お世話になる「ジャンボタクシー」に乗り込んだ参加者7名は、11時の参観開始に余裕をもって到着できるように、
           道路渋滞回避のために10時には京都駅を出発。
           それほどの渋滞はなく、10時半すぎには修学院離宮前に着くことができました。

修学院離宮

10時40分に「参観者出入口」から「参観者休所」で参観開始を待つ。11時になって参観開始。宮内庁女性職員がガイドとして案内してくれます。「下離宮」までの道、見事な紅葉が参観者30名ほどを迎えてくれました。

「修学院(しゅがくいん)」の地名は、10世紀後半に建てられて南北朝以後廃絶した「修学院」という寺に由来するもの。「修学院(しゅうがくいん)離宮」は、西暦1655年から59年にかけて後水尾上皇によって造立された。上皇崩御の後、皇女光子内親王・皇后東福門院のための御所を移築して「林丘寺」として維持されていたが、明治になって周囲の水田畑地とともに宮内庁が管理することになったという。
「下離宮」御幸門

「修学院離宮」は、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに三つの宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑とで構成されている。

まず「下離宮」の入り口「御幸門」を上皇になった気分で入りました。
「下離宮」庭園

中門をくぐると見えてくる庭園。
「下離宮」寿月観

左が一の間、正面が二の間、かな?
借景の山々

 御幸門と相対する位置にある東門から出ると視界が大きく開け、田圃の向こうに比叡の霊峰から東山、北山の山並みが一望される。
「中離宮」楽只軒

100m近くの松並木道の先に「中離宮」がある。中に入ると光子内親王の朱の御所の最初の建物「楽只軒」がある。簡素な中にも趣のある建物、手前6畳の一の間には狩野探信描く「吉野山の桜」。
「中離宮」客殿

「楽只軒」の高みにある「客殿」、その濡れ縁の一部にある「網干の欄干」。漁村で網を干した形をしている低い手すり。
「上離宮」浴龍池

また松並木道を100mほど歩き、「上離宮」の御成門を入り急な階段を上ると「隣雲亭」。そこから下には「浴龍池」が広がって見える。島の形を泳ぐ龍の姿に見立てたものという。
「上離宮」隣雲亭

深い軒下のたたきは、漆喰に小石を一つ、二つ、三つと埋め込み、俗に「一二三(ひふみ)石」などと呼ばれている。
「浴龍池」の左手には、洛中の街並みがひろがり、その向こうに西山の山々を望めた。
「上離宮」楓橋

「浴龍池」の奥、流れ込む小川を渡る小橋。カエデの紅葉が見事でした。
棚田

三つの離宮の周囲には棚田と畑が囲み、その先は京都の市街地がひろがっています。
三つの離宮を巡ってもとの「休み所」まで約1時間半、見事な紅葉の盛りの景色を満喫しました。

この後、昼食をとって午後は曼珠院と詩仙堂を見学します。(つづく




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