『継体天皇陵』を行く



          1.行った日 ; 2007年12月19日(水)
          2.同行者  ; 大学時代からの友人M氏、Y氏
          3.目  的  ; 若い時から「古代史」に関心があって、古墳を実際に見てみたいと思っていました。
                    この旅の3日目の午前、京阪「富田(とんだ)駅」から歩き始めました。



 まず、最初の目的地は宮内庁が管理している公式の御陵「継体天皇陵」です。

駅員さんに地図で教えられた道を辿って30分近く、やっと辿りつきました。
あとで知ったのですが、前を通る道は旧「西国街道」でした。広い前庭があったはずですが、住宅地が切り取ってしまっていて細い導入路があるだけでした。

「継体天皇」は第26代の天皇ですが、第25代「武烈天皇」の後継者がなかったため越前から迎えられ枚方市「樟葉宮」で即位、「三嶋藍野陵」に祀られたとされています。この御陵が、「三嶋藍野陵」だと治定されています。

「太田茶臼山古墳」とも呼ばれる全長226mの前方後円墳、出土埴輪の形式からみて古墳時代中頃のものと考えられ、学会では近くにある「今城塚古墳」がその「継体天皇陵」ではないかと考えられています。
継体陵の拝所です。
前方部には樹々が生い繁っています。周濠があるのですが、水面がやっと見える程度でした。
周囲には住宅が近接していて、藍野病院の高い建物も見えていました。
東側の道路に回りこんで、やっと後円部と濠を見ることができました。
今来た道をまた15分ほど戻り、バス通りを北に10分ほど歩き住宅地に入ると金網のフェンスにぶつかります。ようやく「今城塚古墳」に着きました。

宮内庁は上の「太田茶臼山古墳」を「継体天皇陵」に治定して整備しています。が、出土品や日本書紀の記述などから検討した結果、この「今城塚古墳」が真の「継体天皇陵」であるとするのが定説になっているようだ。

現在、2004年から史跡公園として整備する工事が続いているそうです。
「今城塚古墳」の呼び名は、この古墳が戦国時代に山城として利用されたことに由来しているといいます。古墳の規模は全長約350m、墳丘の長さ190m、高さ12m、二重の濠が周囲を巡っていたようです。

いまは、史跡公園整備のために濠の一部を残すだけです。重機が入っているのが見えました。
周囲は全部フェンスが巡っていて内部を窺うことはできません。立っている位置は、前方部の左寄りにあたります。
帰りの時間の関係もあって、周囲探索は諦めて帰途につきました。




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