読書日記

平成17年1月〜3月

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「ありえない日本語」(秋月高太郎・ちくま新書)

・「ありえない」はありえない? ・「なにげに」よさげ ・かっこいいから「やばい」、おいしくて「やばい」 ・「うざい」と言いたくなるときは ・「〜じゃないですか」は失礼じゃないですか ・「よろしかったでしょうか」はなぜ「丁寧」か? タメ語は失礼ですか? ココはカタカナで書くしかないデショ? ・「ゲッチュ」「プリチー」−外来語表記のポインツ ・愛の告白の言語学ー「つきあってください」とごめんなさい」

本書の序章から第9章までの表題です。「  」で括った言葉が、私の年代の者にとっては「ありえない日本語」だろう。この読書日記では、何冊かの最近の日本語の乱れを取り上げた本を紹介しているので、あまり目新しい言葉はないのだが、やはり自分が使うには違和感のつきまとう言葉ばかりである。

著者は仙台にある女子短大の言語学者で、もともとは少女マンガおたくだったそうです。本書の言語学的立場は、「ことばを、そのことばが用いられる場面や文脈から切り離して扱うことはしない。『キモイ』ということばであれば、『キモイ』が、どのような場面や文脈で、どのような効果を期待して用いられているのかということを問題にする。」そのため、本書では、若い世代の人々にかかわりの深いところからデータを採取することに努めている。特に、少年・少女マンガの登場人物のセリフをデータに求めていることは、著者の経歴と深いかかわりがあり、本書のユニークさもここからきていると思われる。

「問題な日本語」という本も最近のベストセラーになっているように、「若い世代の日本語」にたいする関心は深まっているように思う。つぎは「問題な日本語」を読んでみようか。(3月24日(木))


「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」(山田真哉・光文社新書)

身近な出来事から「会計」がわかる! スーパーの完売御礼でわかる「機会損失」と「決算書」。飲み会のワリカンでわかる「キャッシュ・フロー」。住宅街の高級フランス料理店でわかる「連結経営」。2着で満足する麻雀打ちでわかる「回転率」。商品だらけのお店でわかる「在庫」と「資金繰り」。(本書カバー)

本書表題の「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」で会計学の何がわかる、というのかわかりますか?
@「さおだけ屋」は、実は売り上げが高い。儲けのカラクリは、2本で1000円という安いさおだけを売るふりをして、実際は利幅の大きい1本5000円のさおだけを10万円の工事費で売りつける、という詐欺まがいの商法をする実例がある。
A実は本業は金物屋で、配達の途中でさおだけを売ることを副業にしているので仕入れ費・人件費・物流費などはほぼゼロですむ。という説明です。
「企業はゴーイングコンサーン。その源は利益であり、利益は『売り上げ』マイナス『費用』である。さおだけ屋は、売り上げを上げる方法か費用を抑える方法で利益を上げて、生き続けている」、という説明につながっていく。

ほかの項目も、本当にこんな下世話な例できちんと会計の本質を説明しきれるのか危ういものだな、と思わせる説明が続いている。

本書はあくまで会計入門で、これだけで全部わかるものではなく、本格的な解説書への導入本と考えるべきだろう。とは言うもののやはり本格的会計学は手強そうでお近づきになりたいとは思わない(3月17日(火))


「ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る」(赤澤威編著・朝日選書)

ネアンデルタールは、今から20万年前のヨーロッパに現れた人々だ。そして4万年前〜3万年前に、われわれ現代人の祖先と入れ替わるようにして、歴史の舞台から忽然と姿を消した。彼らはどんな人々だったのか。彼らの社会にいったい何が起こったのか。彼らと現代人との間で何があったのか。多くの専門家たちがこの謎解きに挑戦してきたが、答えは一向に見えてこない。挑戦は続く。(本書冒頭、編著者による書き出し)

本書は、平成16年1月に行なわれた公開シンポジウム「アイデンティティに悩むネアンデルタールーー化石人類研究の最前線」の発表者11人でつくられた。この数年の化石発見ラッシュの中、化石、脳、言語、遺伝子等の専門家が、さまざまな視点で最新ネアンデルタール像に迫った。

以前「ネアンデルタール人とは誰か」(1997年、ストリンガー、ギャンブル著・朝日選書)を読んだことがある。本書では、その後の各分野にわる最新の研究結果が概説されている。多くの分野に細分化されて詳しく説明を受けるのだが、「群盲象を撫でる」感があって、一層不明の闇の中に引き込まれた感がするのは、私の能力の限界なのだろう。(3月10日(木))


「『噂の眞相』25年戦記」(岡留安則・集英社)

噂は「火のないところに煙は立たぬ」という譬えにならうなら、何かしらの真実を含んでいることがある。この場合、噂は社会への警鐘であり、私たちの生活の健全な潤滑油ともなる。『噂の真相』という雑誌は、1979年に呱呱の声を上げ、以来、スキャンダリズムという潤いを世に提供してきた。04年3月、その雑誌が休刊した。公人の噂を書くことすら封じ込めようとする「個人情報保護法」の発効を目前に控え、編集長、岡留安則は筆を擱いた。本書は、この名物編集長による体験的、実際的ジャーナリズム論であり、時代変遷の風雲録でもある。(本書カバー)

75年3月創刊の「マスコミ評論」はマスメディア批判の中身がおもしろく読んでいた。仲間割れがもとで、著者は「噂の眞相」を発刊したがスキャンダル指向が肌に合わず読むことなくきた。今、その雑誌の25年間の奮闘録を読んでみて案外硬骨漢だった著者を見直したものだった。

そういう話題もあったなと懐かしく思い出したテーマを拾ってみると
「皇室ポルノ事件」「極真会館スキャンダル」「赤塚不二夫の本番撮影」「ハウス食品脅迫報道協定破り事件」「三浦和義ロス疑惑人権擁護」「筒井康隆断筆宣言」「皇国史観小林よしのりとの対決」「宅八郎・田中康夫邸宅襲撃事件」「本多勝一との対立・決裂」「東京地検特捜部長の報復・東京高検検事長の女性スキャンダル」「森喜郎前首相と売春検挙歴報道」「皇室記事がもとの右翼編集部襲撃事件」とつづく。
こうした経験をもとにしたスキャンダル・ジャーナリズム論が展開されていく。真面目に受け取るも良し、戦後史の一角を思い出すも良し。おもしろかった。(2月15日(火))


「ぼんくら」(宮部みゆき・講談社文庫)

「殺し屋が来て、兄さんを殺してしまったんです」−−江戸・深川の鉄瓶長屋で八百屋の太助が殺された。その後、評判の良かった差配人が姿を消し、三つの家族も次々と失踪してしまった。いったい、この長屋には何が起きているのか。ぼんくらな同心・平四郎が動き始めた。著者渾身の長編時代ミステリー。

最新刊「日暮らし」がベストセラーとなっていて読もうと思ったら、本書「ぼんくら」がその前の話だということを教えられ読んだもの。久し振りに「宮部ワールド」に戻ってきました。本書は5年前の刊行、それまでのミヤベの物語は残らず読んでいたのだから、本当にひさしぶりということになる。

出だしはミヤベ得意の下町人情の世界を物語が五編、それが平四郎の相方になる十二歳の少年弓之助の登場によって長編時代ミステリーへと進展していく。(1月31日(木))




「痕跡」(パトリシア・コーンウェル・講談社文庫)

[検視官スカーペッタ」シリーズの13作目の文庫本。バージニア州検視局長ケイ・スカーペッタが主人公の検視官シリーズはDNA鑑定、コンピュータ犯罪など時代の最先端の素材を扱い読者を魅了、1990年代ミステリー界最大のベストセラー作品となった。

シリーズ当初は、珍しい世界の女性が主役の物語に夢中になって追いかけてきたものだ。しかしシリーズを重ねるにつれてグロテスクな話になってきていて、最近はあまりおもしろくなくなっている。本書もその傾向があり、そろそろ読むのをやめようかなと思っている。(1月17日(木))







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