読書日記

平成16年1月〜3月

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「住所と地名の大研究」(今尾恵介・新潮選書)

私の家の住居表示は「横浜市港南区日限山○丁目○○番○○号」だが、引っ越してきた当時は「港南区上永谷町西洗○○○○番地ー○○○」で西洗という小字名がついていた。その後の新住居表示では、日限地蔵尊に由来したのであろう「日限山小学校」「日限山郵便局」で馴染みのあった「日限山」が採用されて、「ああ、これで田舎っぽい住所から新興住宅地らしい表示になったなあ」という感じを持ったものだった。この住宅地は整然とした街区に区切られているので、特別な違和感・不便は感じなかった。

本書は、現在身近な「地名」の話題を語らせたら一番の今尾恵介が、自身が住む東京・日野市における住居標示改定で歴史ある小字が消されてしまった、という痛恨の経験も語ることで、机上の地図を前に考える役人が現実にそこに住む住人の行動形態を無視して、整然とした秩序立った丁目・番地付けをした不合理・不便を洗い出している。

「日本では、なぜ住所を頼りに目的地をみつけられないのか?そもそも番地はどこから並んでいるのか?『番外地』は本当に存在するのか?なぜ由緒ある旧町名が消え、のっぺりとした住所ばかりになってしまったのか?パリ、ロンドン、ニューヨーク、ソウルなど海外の住所はいったいどうなっている?身近な『住所』の、知られざる仕組みを、興味深い実例をたくさn紹介しながら探っていく。」(本書腰巻より)(3月31日(水))


「被差別部落の青春」(角岡伸彦・講談社文庫)

私の年代では学校時代に「同和教育」はなかった。生まれ育った東京の下町では「差別」を身近に感じることはなかったので、本で知る世界に留まっていた。昭和40年代、若手の会社員時代、労務担当として「同和」に少し関わりが生じた程度で、多分「これから先も関係がなく終わればいいな」というのが本音の世界である。

本書は、自身が「部落」出身である著者が自らの立場を明らかにして、「丹念な取材を通して語る結婚、ムラの暮らし、教育。しなやかな視線で『差別と被差別の現在』に迫るルポ」(腰巻から)。

多くの人にとって"他人事でしかない"部落問題は、結婚相手が部落民であることがわかると、人によっては「部落民が身内になる」という意識が生まれ、その時、これまで縁遠かった部落問題が初めて"わがこと"になる・・・まさにその通り。あなたにとってもそうですよ。
また、著者自身の問題としても紹介される、「子供に"あんたも部落民やねんで"」と伝える、ことも大いに難しい問題だろうということも容易に想像できる。「同和教育」は教員にとっても厄介な問題なのだろう、ということも本書を読んでみてわかった。

「おもろい奴も、笑える話もある」。とっつきにくいテーマではあるが、おすすめ本である。(3月18日(木))


「『忘れられた日本人』を読む」(網野善彦・岩波書店)

民衆の視点から日本中世史をとらえ直す研究で知られた歴史家の網野善彦氏が2月27日死去した。76歳。日本常民文化研究所を足場に、従来の歴史学が軽視してきた職人や芸能民、漁民ら非農業民に着目する研究で注目された。通説にとらわれない考察で、中世の自由と平等の問題や、天皇の支持基盤を再検討。それまでの歴史学に見られた天皇を頂点とする国家像や稲作中心の単一民族観を根底から問い直した。民衆の具体的な生活に根差した学問は"網野史学"と呼ばれ、1980年代に中世史ブームを起こした。(京都新聞より抜粋)

網野史学にはまりこんで著書を渉猟するということはなかったが、「無縁・公界・楽」「異形の王権」「古文書返却の旅―戦後史学史の一齣」などの著書は読んでいた。

一方で、宮本常一の「忘れられた日本人」も岩波文庫本で読み、佐野眞一の「旅する巨人」で渋沢敬三と宮本とのただならぬ関係を知り、最近では毛利甚八の「宮本常一を歩く 日本の辺境を旅する」を読むなど、宮本常一「忘れられた日本人」とのつきあいも深かった。

本書は、網野と宮本との関わり、「忘れられた日本人」が網野の思想に与えた影響、その結果としての網野史観の形成・展開を四回にわたる講演で語ったもの。昨年末から体調を崩す中でまとめた著作であり、その死を知って若干高価ではあるが買い求めて読んでみた。読み飛ばすには少々重い本だが、講演の調子が少し残っていて説き聞かせてくれる感じで心にその内容が沁みこんできた。(3月14日(日))


「地名のたのしみ 歩き、み、ふれる歴史学」(服部英雄・角川文庫)

渋谷・紀伊国屋書店のブックフェアで「学校の怪談」と一緒に買い、すぐに読み終わっていたのだが掲載が遅れ、一緒に紹介する羽目になった。

1980年代だったか、堀淳一・籠瀬良明・山口恵一郎という当時きっての地理学者・紀行家が編者となった「地図の風景」という大部なシリーズが発行されていた。地形図と空中写真と現地に立っての紀行文とがセットになった特異な本で、ずいぶん誌上紀行を楽しんだものだった。
このシリーズには、地名にまつわる話題も多くとりあげられていた。現代の地名にまつわる紀行作家は今尾恵介が売れっ子だが、本書は地名に関する本格学者によるもので、条里制・荘園・佐賀県を足場に半ば学術論文のようで、読み応えのある本だった。

「失われつつある地名を手がかりとして現地に足を運び、地元の人々の口から丹念に地名を聞き取る。聞取った地名を地図に落とし、その土地に関わる生活を記録する。人々の営みが刻みこまれた地名は、地域の景観を復元する貴重な資料だ。」という謳い文句のとおり、豊富な研究事例を引用しての研究過程・成果の紹介は一般の読者にも興味深いものがあり、地名学の入門書としての役割を果たせるものと思う。(親本は平成12年角川書店刊「地名の歴史学」)(3月6日(土))


「学校の怪談 口承文芸の研究T」(常光徹・角川文庫)

昨年11月に紹介した「親指と霊柩車」の著者によるもの。

「誰もいない音楽室から流れてくるピアノの音。真夜中の校内を歩き回るガイコツ模型。さまざまな怪異が語られるトイレ空間・・・。活気に満ちた昼間の学校も、子どもたちの下校後は不気味な様相をおびた闇の空間を演出する。異界への想像力をかきたてる場といってもよい。児童・生徒の間で語られる怪談や不思議話は、つねに彼らをとりまく現代を映し出しながらも、同時に、類型的な口承の伝統のなかに息づいている。従来、あまり注目されなかった子どもたちのうわさ話を、民俗学的な手法を用いて研究の俎上にのせた意欲作」(本書裏カバーより)

紹介文にもあるように、口承文芸の研究は、田舎の古老から昔話を聞取るばかりでなく、身近な所に対象があって、それはそれで意味の深いところがあるのだということを教えてくれた。
著者は、中学校の教諭から研究実績を挙げて現在は国立歴史民俗博物館助教授として活躍している。「所を得た」というところなのだろう。(親本は平成5年ミネルバ書房刊「学校の怪談 口承文芸の展開と諸相」)(3月6日(土))


「かなり気がかりな日本語」(野口恵子・集英社新書)

「大学生と言葉」「はやり言葉」「当世敬意表現」「空虚なコミュニケーション」「豊かな日本語力をつけるためのセルフ・トレーニング」 本書の章立てを見るだけで、著者の言わんとしていることが推測できる人は、かなりの日本語憂慮派です。

読み進むたびに「うん、その通り」「そういうことだったのか」といちいちうなづいていることだった。
身内だけに通用する業界用語を頻用し、身内に尊敬・敬意を表し、対面コミュニケーションの場を避け、無意味な「つなぎ」言葉や「ある意味」「基本的に」「逆に」などのはやり言葉を口癖に使う。
そう言う自分、あるいは場面に気づいたことがありませんか。

そういう自分にも、「腑に落ちる」は腑に落ちない、の項目を読んだ時に知らずにこの誤用表現に汚染されていた自分を知らされた。このホームページのどこかで、この表現をやってしまっていた。恥ずかしい。

本書は、2002年7月に朝日新聞オピニオン面に掲載された著者の900字ほどの投稿「日本語『業界用語』連発する大学生」に、目を留めた新書編集部員に勧められて書いた処女作だそうだ。著者は大学の語学教師として、日本人と外国人に日本語とフランス語を教えている。その経験の中で「かなり気がかり」になってきた日本語について論じたもの。
そして、「内容より体裁を重視するという本末転倒」「分析・意見・主張の不在」「言葉に対する鈍感さ」への警鐘こそ、最近の日本語を観察して疑問に思ったこと、言いたかったこと、だったと最後にまとめている。

この警鐘を真摯に受け止めたいものだ。(2月20日(金))


「ブッシュマンとして生きる 原野で考えることばと身体」(菅原和孝・中公新書)

南アフリカのボツワナに暮らす狩猟採集民、セントラル・カラハリ・ブッシュマン。
丹念な会話分析と出来事を根底から把握する身体配列を手がかりに、その独特なセンスを浮かびあがらせる。
権力と強制と傲慢を徹底して嫌い、みずからの生きる世界と粘りづよく交渉を重ねる彼らの社会は、私たちのもう一つ別の生の形がありうることを示している。
直接経験に根ざした「等身大の思想」の実践を呼びかける、フィールドワークの結晶。(本書腰巻より)

遥か40年以上昔、梅棹忠夫著「モゴール族探検記」(1956年・岩波新書)を読んで「文化人類学」という学問の存在を知った。
著者の先輩教授である田中二郎の「カラハリ砂漠」を紹介する著作を読んだのも、またはるか30年以上前だった。

本書は想像もしない研究手法でブッシュマンの思考行動形式にアプローチするのだが、流し読みするには難解で読了するのは骨の折れる作業だった。
本稿の結論は、本書がどんな内容だったのかを紹介するのは私の手には負えない、ということです。(2月14日(土))



「藤沢周平 残日録」(阿部達二・文春新書)

「人生の学校」だった・・・・・結核療養所   生涯一度の体験・・・・・選挙演説   大の好物・・・・・だだちゃ豆、塩ジャヶ
気質・・・・・カタムチョ、辰巳の天中殺   日課・・・・・近所の喫茶店通い   嫌いな人物・・・・・織田信長   旅・・・・・荒涼の五能線

どれだけご存知でしたか?作家の人間観、死生観、創作観が浮かび上がる事典ふう ちょっといい話(本書「腰巻」より)

この本は主に藤沢周平(本名・小菅留治)の四冊のエッセイ集「周平独言」「小説の周辺」「半生の記」「ふるさとへ廻る六部は」から、藤沢周平と関わりの深い人物、場所、学校、本、食べ物、映画など約百五十項目を抽出し、くりかえし紹介される記述を一箇所にまとめて、一つ一つを短い読み物に仕立てたもの。

この四冊は別個に読んでいたが、こうしてアンソロジー風にしたてられたものを読むと、まさに藤沢周平の一生が髣髴として浮かび上がってくる観がある。

周平作品のほぼ全巻を読んでいるのだが、私の周平論はまたの機会に紹介したいと思います。(2月4日(水))



「スクープ 記者と企業の攻防戦」(大塚将司・文春新書)

「新聞記者は刑事コロンボのようでなければならない」 コロンボは状況証拠の積み重ねで犯人を追い詰める。
「新聞記者も、この手法だ」 他の誰もが知り得ない話を聞くことの積み重ねで、取材相手を「自白」させる・・・
スクープを求めて走り回った経済記者と企業の攻防の物語。(本書「腰巻」より)

どこかで聞き覚えのある名前だと思ったら、自分の会社の社長を株主代表訴訟で告発して懲戒解雇された記者だった。
「原稿が書けない記者」「批判精神のない記者」との陰口を逆手にとって、じっくりと時間をかけてシナリオに沿って取材を重ねて、時機を捉えてスクープを重ねてきた記者の第一線での戦勝(敗)記録である。

もう一度記憶を呼び覚ますと、私が広報の駆け出し部員だった頃、同じ駆け出しのメーカー担当記者として取材に何度か訪れてきたのが大塚記者だった。
思い返せば昭和50年代初期は、日経新聞が産業新聞、流通新聞、金融新聞を立て続けに発行し、「少年探偵団」と異(悪)名をつけられた若手記者が「産業部」「証券部」「商品部」「流通経済部」はては「社会部」からと、入れ替わり立ち代り「取材」に來始めた時期だったのだ。
スクープにあたいするようなたいしたニュースが出ない・起きない会社だったので、追い詰められる経験はごく僅かしかなかったが、それでも若手記者にもいろいろな性格の記者がいておもしろかった。
記者魂も時代とともに変わってきているのだが、本書で主張されていることは変わっていないのだろう。 (1月28日(水))



「《花の詩画集》花よりも小さく」(星野富弘・偕成社)

舞岡公園の「小谷戸の里」の園路際に星野富弘さんの詩碑があります。
星野さんの詩画集第一集「愛、深き淵より」(1981年発行<絶版>)が発刊された時から、星野さんの詩画集を愛読してきました。
まりこは群馬県東村にある「富弘美術館」に行ったことがあります。
中学校教師としてクラブ活動中の事故で頚椎を損傷して手足の自由をうしない、絵筆を口にくわえることだけができる身で、介助をしてくれる奥さんが溶いた絵の具を一筆一筆連ねて、詩画を何十時間もかけて描いている様子を以前TVで見たことがありました。
本書の表紙を飾る画もそうして描いたものです。

クリスチャンでもある星野さんの詩と絵がセットになったページを繰り、くりかえし読み・見るたびに心洗われる思いがします。しばらく出版が途切れていた詩画集が昨年秋に発行され、新たに心を洗ってもらった気がします。 (1月23日(金))



「ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ」(北村孝一・光文社新書)

「二兎を追うものは一兎をも得ず」、  「一石二鳥」、  「艱難汝を玉にす」、  「溺れる者は藁をもつかむ」、
「時は金なり」、  「天は自ら助くる者を助く」、  「大山鳴動して鼠一匹」、  「鉄は熱いうちに打て」
これらの「ことわざ」のうち、西洋起源のものはどれだと思いますか。

「文明開化」といわれた明治初期以来、日本人は必死になって西洋文明を取り入れ、吸収しようとした。多くのことわざも和訳されて、一般には外国から入ってきたとほとんど意識されないほど日本語に定着した表現もある。ここに上げたことわざは全部西洋起源のものだ。

西洋起源のことわざは、いつ、どの言語から入ってきたか?  どのような過程をとって日本に定着したか?  元来の意味や用法が日本に入ってからどのように変容したか?  ことわざの背後にあるものを含めて歴史的に読み解こう、という意図は達成されていると言っておこう。

印象に残ったのは、研究の手段として「ことわざ集」などの資料以外に小説や新聞などの一般の用例収集に、デジタルアーカイブの発展が助けとなった、ことを挙げていることだった。国会図書館の明治期の文献のマイクロフィルム化がここで役立っていたのだ。  (1月15日(木))



「にたり地蔵 公事宿事件書留帳七」(澤田ふじ子・幻冬舎文庫)

池波正太郎、藤沢周平なきあと、時代小説から離れていた時、幻冬舎文庫からこのシリーズが相次いで刊行された。公事宿という耳慣れぬ言葉に惹かれて手にし一読その面白さにはまってシリーズを読みついできた。
そのうちに、NHKドラマで内藤剛志が演じる田村菊太郎にも魅せられることとなってしまった。まさに今晩1月9日から続編が放送開始することになっている。話の内容も役者衆の演技もお薦めものである。

主人公の菊太郎は、京都東町奉行所同心組頭の家に、長男として生まれながら訳あって、公事宿(訴訟人専用旅館)「鯉屋」に居候する身。"悪を挫き、しかも優しい"菊太郎と、愛人お信、異腹の弟で同心組頭の鋳蔵、鯉屋の主人源十郎らが織り成す民事事件の解決の過程が、京都の土地・言葉で綴られている。

慣れない京都弁による会話を追うのは一苦労あるが、その独特の雰囲気が池波・藤沢作品との違いでもあり、楽しみでもある。 (1月9日(金))







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