読書日記

平成15年7月〜9月

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「武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新」(磯田道史・新潮新書)

古書店から金15万円也で買い求めた「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に含まれていた精巧な「家計簿」と「書簡」「日記」から再現された、「会計」を代々の専門職能とした武士の幕末・維新・明治初年にわたる3代・36年間の暮らし。
著者の得た教訓は、大きな社会変動のある時代には、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力を持っているか」が人の死活をわける、ということだった。
著者は弱冠33歳の学究。この文書を手中にして推理小説のように事実を読み解いていく過程の面白さ・興奮が、前紹介書と同じく切々と伝わってくる。(9月24日(水))





「親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る」(島泰三・中公新書)

推理小説を読むような意外な着想と展開。一日も早くこの知的興奮を味わってもらいたいと前二著を紹介したばかりだが、取り上げることにしました。

-- 一本だけ離れて生えている太くて短い親指。ガラスさえ噛み砕くほど堅い歯。
  人類の手と口は他の霊長類に例のない特異なものである。
  霊長類の調査を長年続けてきた著者は、サルの口と手の形、移動方法は、
  その主食によって決定されることを解明し、「口と手連合仮説」と名づけた。
  なぜアイアイの中指は細長いのか、なぜチンパンジーは拳固で歩くのか、そして人類は何を食べ、
  なぜ立ち上がったのか。スリリングな知の冒険がはじまる。-- 表紙カバー より

答えは「アッ」と驚くものだった。それが何か、読んだ人のみ知ることができます。 (9月19日(金))



「登山不適格者」(岩崎元郎・NHK出版生活人新書)

この2年ほど前まで毎年尾瀬に行き、尾瀬ヶ原中央の竜宮小屋をベースに景色と草花の写真撮影にでかけていた。元気な頃はそのうえで燈裏林道を単独行して桧枝岐にぬけていたものだった。
本書を読んで、どんな低山だからといって単独行は危険なこと、体力・装備・登山技術において未熟な者は「登山不適格者」であることを知り、自分に該当する項目が多いことに慄然たる思いがした。
これからは、単独登山はやめ「悠々会」でのグループハイキングを楽しむことにしよう。 (9月16日(火))





「スイス讃歌 手作り熟年の旅」(高田信也・文芸社)

書店の棚に「スイス」の文字があるとつい手が伸びてしまう。本書は、70歳過ぎの"老"夫婦が有名観光都市サンモリッツ近郊の山村に長期滞在し、自然の四季の移ろいを楽しみ、そこに生きる人々の姿を身近に眺めながら暮した経験を通して、日本の国のありようを顧みるもの。
6月に読んだ同種の国松著ほど堅苦しくなく生活観をともなったスイスでの暮らしが伝わってくる。 (9月9日(火))





「調べてみよう エネルギーのいま・未来」 (槌屋治紀・岩波ジュニア新書)

このHPの「交遊録・セーリングクラブ」に登場するTu君がこの6月の航海の時に、「今、ジュニア向けの本を書いている」と言っていた本が本書だったようだ。
一読、エネルギーを取り巻く現在の状況・課題について過不足なく纏められており、ジュニア(対象は中・高生だろうか)のみならずエネルギーに関心のあるビジネスマン・主婦にとって知識整理に大いに役立つことだろう、と感じた。

内容は、身近なエネルギーの見方からはじめて
     ・資源と環境はほんとうに危機なのか     ・効率をあげるためにどんなことがあるか
     ・太陽エネルギーは有効なのか        ・自動車のエネルギー効率は
の標題のもとに、エネルギー利用社会の現状が検証・紹介されている。
そして最終章「エネルギーの将来像」で、@エネルギー効率の向上、A再生可能エネルギーの開発、B移行期には天然ガス、の三つが将来のエネルギー政策として重要なことを導き出している。
巻末の「人類は平均10人のエネルギーという奴隷を持っている」という言葉が強く印象に残った。

筆者の主張は「効率の高い、低エネルギー社会であり、太陽エネルギー社会を目指す」ことだ。
最初にこうした計算を発表したのが1980年の「エネルギー耕作型文明(東洋経済新報社)」で、そのころは少数派の考え方だったが今では少数派ではなくなったという。
原子力については議論が多いが、筆者は「減らしていくのが望ましい」という立場だ。

以下、私の疑問に直接答えてもらったので紹介しよう。

1.「発展途上国が先進国並みのエネルギー使用を追いかけてくることにたいして、そこから生まれる問題への対策は?
  今のところCDM(クリーン開発メカニズム)しか手がないように思えるが」、との懸念について

 ・CDMは京都議定書の形で先進国が途上国にできる温室効果ガスの削減方法のひとつであり、
  これですべてとは誰も考えていません。
  途上国自身がエネルギー効率を高める方向へすすみつつありますし、風力発電はインドで急速に進展しています。
  またバイオマスは途上国には豊富に利用されています。
  再生可能なエネルギーは途上国で豊かに利用されるはずです。

2.「中国・インドの何十億の民がいきなり燃料自動車を乗り回す「技術のカエル跳び」が起こるのだろうか?
  この大きな課題をどうやって解決しようというのだろうか?」、との懸念について

 ・7章に書いたように、エネルギー効率を2倍以上に上げてゆけば、問題の解決の方向へ進みます。
  結局は石油供給の限界ーー>石油の価格上昇ーー>省エネルギーの進展(効率の向上)ーー>
  新エネルギーの導入の進展、というサイクルができてきます。
  問題は豊かな階層の人は、エネルギーを豊富に利用でき、貧しい階層は使えないという、
  基本的な経済の問題です。このことが、資源の自由勝手な使用を制限するということが、
  先進国だけでなく途上国にも生じてくるということだと思います。
  これはエネルギー資源の問題というより配分の問題になってきます。
  市場の効率化は結局このような形で問題をあらわにするのだと思います。
(8月29日(金))



「揺れる大地 日本列島の地震史」(寒川旭・同朋舎出版)

「地震考古学」(遺跡の中で、液状化の痕跡を始め、断層・地割れ・地滑りなどの地震の痕跡を総合的に研究する分野) 1988年に産声をあげた新しい研究分野である。
著者による中公新書「地震考古学--遺跡が語る地震の歴史」を初めて読んだ時の知的興奮は今でも忘れない。本書は日本の過去の大地震を地震考古学と記録文書をまじえてそのすさまじさを紹介してくれる。
かつて「関西に大地震は起きない」という油断の声があった時、日本の活断層の分布・六甲山地がなぜ海際から直立しているのかを考えれば、それは油断以外の何者でもない、と思っていた。
地震考古学の成果によれば、秀吉の時代の伏見地震からあといつその規模の地震があるか、予知は無理としてもいつかはあるものとしての備えは必要だったのだ。
関東地方も、関東大震災から80年を越え、いつ同じ規模の地震があってもおかしくないのだから備えが必要なのだ。
(8月22日(金))



「スイス鉄道一人旅 行き当たりばったり路線ガイド」(根本幸男・光文社知恵の森文庫)

鉄道紀行の海外版。11年前のスイス旅で乗り降りしたり通過した路線・駅が所々に登場して当時を思い出させてくれる。
お気に入りの国(スイスは全体で九州ぐらいの大きさ)を一人旅で、26日間もかけて好きな路線を自由気ままに乗り回せるなんて、夢のような体験だろうな。
(8月21日(木))





「日本語は年速一キロで動く」(井上史雄・講談社現代新書)

本書「日本語は年速一キロで動く」は、今も発生している新方言が年間どのくらいのスピードで周囲に広がっていく・いる
のかを、各種新方言・地方独自の方言を追って調査した結果、大胆かつ非常に幅のある言い方だが「年速一キロ」と推定・提言している。
私の住む横浜には「ジャン」という言葉が使われているが、元はこれも馴染みのある静岡から入った言葉で、今では若者言葉として東京を席巻しているらしい。またこれは私の嫌いな表現「ウザッタイ」という若者言葉は、東京多摩地方から都心に入った新方言だそうだ。これも嫌いな「チガカッタ」「ミタク」「べー」も全国に広がりつつあるらしい。
さらに「ら抜きことば」の次は「レタスことば」が広がりつつあるらしい。因みに「レタスことば」は、「飲めれる」「聞けれる」「書けれる」など、可能を示す言い方にレが余計についていることばのことである。「終わらサせていただきます」などの「サ入れことば」もこの頃耳に煩い。
これらの「ことばの乱れ」は電波メディアを通じて、年速一キロどころでなく百キロ近くで進んでいく時代になっているそうだ。
(8月7日(木))

--松本修『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(大田出版-1993、新潮文庫-1996) 
  という本を読んだことがありますか? 関西がアホ、関東がバカとよく言われるが、バカが西日本でも見いだされ、
  またタワケが東海地方以外に西日本でも見つかる。これをもとに、アホ・バカという意味内容を全国でどういう言葉で
  表現しているか、方言周圏論(柳田国男「蝸牛考」で論じた、カタツムリをさす言い方で京都からの遠さと
  文献に出る順番がほぼ一致していること、を論じた有名な論考)的現象として、TV番組の中で追跡調査し
  さらに本にまでまとめあげた 面白くもためになる本です。



「前方後円墳国家」(広瀬和雄・角川選書)

--3世紀なかばごろから7世紀初めまでの350年間ほどの間に、列島各地に約2,500基も造営された前方後円墳。
  その特質は「見せる王権」としての可視性、形状の画一性、大山(だいせん)古墳(仁徳陵)をピークとする
  墳丘規模の階層性にあり、大和政権を中心とした首長層ネットワークの「国家」と呼ぶべき利益共同体を
  表象するものだった。弥生から古墳時代の歴史を国家という枠組みで捉え直し、新たな歴史像を打ち立てる。--
                                             これは本書表4の説明文。

故・井上光貞 元東大教授・初代歴史民俗博物館長 著の、「日本国家の起源」(岩波新書1960年刊) と、「日本の歴史:第1巻、神話から歴史へ」(中央公論社1965年刊) で、日本古代史に関心をもってから40年以上経つ。
大型古墳に祭祀された人物と文献に現れる人名との比定に関心があるのだが、畿内の主要大型古墳が宮内庁によって陵墓もしくは陵墓参考地に治定され、発掘調査・実測調査・立ち入りのどれもが不可能、という制約のもと、依然としてその解明は進んでいない。
本書の前方後円墳の解釈は通説とはことなるようだが、一つの見方として納得する所はあるが依然すっきりとさせてくれるものではなかった。
  (この「読書日記」を意識しすぎて重い本を読むことになり辛い。次は軽い本にします) (7月24日(木))



「能力構築競争 日本の自動車産業はなぜ強いのか」(藤本隆宏・中公新書)

--本書の目的は、「能力構築競争」というキー概念を用いて、二十世紀後半の日本における製造業の発展、
  とりわけ「もの造り」における競争優位確立のプロセスを明らかにしていくことである。
  ここで「能力構築競争」とは、企業が開発・生産現場の組織能力を切磋琢磨し、
  工場の生産性や工程内不良率や開発リードタイム(開発期間)など、顧客が直接評価しない
  「裏方」的な競争力指標における優劣を、まじめに、かつ粘り強く競い合うことである。
  それは、価格競争のように、顧客が購買の際に評価する指標を直接的に競う競争とは趣を異にする、
  長期的かつ動態的な企業間競争である。本書では、二十世紀後半における日本の自動車産業を題材として、
  能力構築競争を主たる駆動力とする、産業進化のメカニズムを素描してみようと思う。--

長々と引用したのは、「能力構築競争」というキーワードは著者が本書をまとめるのに要した10年間でたどりついた分析概念であり、読了してなるほどうまく理論構築したものだなと感心させられたからである。
2年間出向していたシンクタンクで事務局を担当した某委員会で「トヨタ自動車におけるSCM」に関して「トヨタ生産システム」に触れる機会があった。世上、トヨタの強さ・トヨタ生産システムについて紹介する本は沢山あるのだが「群盲象を撫でる」感があるのは、まさにこの「能力構築競争」が水面下で行われていて我々の目には見えにくいからなのだとわかる。
日本の製造企業が生き延びていくために、「自動車産業の能力構築競争の歴史に学ぶ」ものは多い。 (7月13日(日))


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